昭和47年7月25日朝81節

                        入力・井出一憲


 一生が修行じゃと仰せられますけど、修行の段階と申しますか、確かに一生が修行ですけれども、えーいつも山坂を登っておると行ったような、苦しいキツイ事であってはなりません。えーけれどもひとつの事をなすと言うか、ここで言うなら十里の坂を登りきって向こうへ降りたら安心じゃと言う、向こうへ降りる所まで、ね、それまではひとつ大いに張り切って頑張らせて貰わなければいけんと思うですね。えー安心じゃと仰る事はもう安楽と言う事じゃない、やはり修行は続けられるんですけれども、その修行のね例えば内容が段々違って来る、言うなら修行が高度になって来る。肉体の修行から心の修行へとまあ例えば言うなら言う風に変わって来る。ね、信ずると言う事。神様を信ずる信ずる心は静かである。この静かな心の内から力強い進展が始まる。信ずる心は静かですこの静かな心のうちから、

力強い進展が始まります。ですから今日の御理解で申しますと、信ずる心は静かですと言う所までなんです。ね、それから先きはですそん中から力強く、限りなく信心の進展はあるのです。そうバタバタしよらんでもですね、問題はその信ずる心神様を信じとります言うても心が静でなかったら、わたしゃ信じておるとは言えないと思うですね。そこん所がです日々言うなら、信心の稽古実際問題と取り組んでも稽古させて頂いている内に、本当におかげ所謂神様を、例えそれがどのような場合であってもおかげですと、こう言えれる心が静そこまではねお互い信心を一つ本当極めて行きたい。昨日四時の御祈念ね神様にご挨拶申しさせて貰った、先日の月並祭の日に末永さんがお届けをしとりました。えー腰を痛めておると言うんですかズットこう痛むらしいです、してその日は足までこう痛むと、それでえーならもうお月並祭も出られん、

下で御用頂いておきなさいと言うて、お祭りも出ませんでしたと言う事でしたから、昨日その事を四時の御祈念の中で神様にお願いさせて頂いとりました、そしたらね神様から暑い寒いを感じんで済むまでの信心修行と言う事を頂きました。暑い寒いを感じんで済む信心修行、今例えばなら腰が悪かったり足が悪かったりして、ジットまあしておる動かれないだからまあ形の修行をしようとしても出けません、ですから例えて言うなら暑い時に、ね、暑さを感じんまでの信心修行、暑い時に暑さを感じんなんてそう言う心の状態なんかて開けるもんじゃないと思うでしょう皆さん、そりゃ暑い時はやっぱ暑いのです。ね、けれどもね「?」どこかと言うと、暑いけれども例えば御結界なら御結界の奉仕させて頂いておって、それこそ背中から暑い汗が流れるように、暑いのですけれどもお昼からは有難涙がこぼれとると言うような状態です。

寒かっても同じ事です。ね、それも凍えるように寒い「?」ジット心を神様に向けさせて頂いておると心が温かくなって来る、有り難うなって来る、ね、問題は暑うても寒うても有り難いと言う心持ちが開けてくる為の修行をせよと、ね、さあーチョット暑いと言やすぐそのまあ年よりの部屋に参りますと、冷房が寒かごとはいっとる、であちらにチョット息抜きに行く、チョット暑かち言えばもう扇風機をかける。ね、だから決して扇風機をかけちゃならんとか、冷房の入っている部屋ですごしちゃならんと言う事ではなくてね、まずは暑くても寒くても暑さ寒さを感じんで済むまでをの信心修行が大事なんだ。ね、こりゃ今の内にしとかんとねもう今度西脇殿が、ああして段々出けて行きよるあちらに今度は冷房暖房が全館さえる訳です。だからその次にお金がかかるついでにここの、お広前の方も全館冷房にすると今言われとります。

して見ると本当に修行が出けなくなるよと、だから今こそそこん所です、ね、暑いそりゃもう汗ダラダラなるけれどもです、その中におかげさあ一時の御祈念で汗ぶるぶるなったちゃつーとシャワーかかる事で、そりゃ返って楽しみぐらいのこっちゃ、あたし達「?」年よりがわたしどんが若い時は、と言いますけれどもこれ事実なんですけれど、もうそれこそ羽織が紐が洋服着ておりますから、洋服のボタン一つ取れとってもやかましかったです神様は、あたくしが汗ブルブルなって一時のあのお食事ん時、下がらせて頂きますとあたくしが絶対脱ぎませんから、久保山先生が濡れたタオルを持って来て、中から手を入れてもう中はジュクジュクでした。けれども決して神様は取ると言うような事は許されませんでした。そりゃもう椛目時代までそうでしたよ。ね、夜の御祈念が終わりますとあの時分夜の御祈念「?」あたくしが下がらせて頂きますと、十人ぐらいがグルーと銘々に団扇を持ってから、

こうやってから煽いだもんです。ね、それから始めて扇風機の御供えを一台頂いて、ね、扇風機をそれでもお広前で使うような事はいたしませんでした。ね、もう今は冷房の効いた部屋でえー御祈念中でも例えばこうやって、御結界に奉仕させて頂いておっても扇風機を使わせて頂いて、自分が使うのではなくて、もう今日の御理解で申しますと十里の坂を登りきった所の修行が頂けておると言う事なんです。ですから決していつまででん汗ぶるぶるの思いをさせたり、寒かとにガタガタ震わせる事だけを、神様が願われるのではなくて、その事も言うなら日頃頂いとるじゃないか、暑いも寒いも神様のおかげであると分かる所までです、辛抱せよ梅の修行は今あんたの場合は出きんのだから、ね、詫びをしようと思うても出きんのだから、ならジット座らせて頂いて例えば今毎日御理解の収録をやってます、

ね、そんならそこから自然の風を入れると言ったような事は、別でしょうけれどもさあそれで扇風機をかけたり、又は冷房のある部屋に入ってひと涼みすると言ったようなね、ことはするまではなくてね、まあそこんにきは何とも言えんとこですよね。それを有り難いとわかる所までの修行をせよと言う事。わたくしは今日皆さんに聞いて頂きたいのはね、氏子九里半登っても安心してはならんと、十里を登りきって向こうへ降りたら安心じゃと仰るのはね、そう言うような事だと思うんです。だから今日皆さんの場合決して暑さ寒さの事じゃないですよ。今日もう家に帰ったら扇風機もかけんと言ったような事じゃないです。扇風機を持っとる方は扇風機使う事もおかげ、冷房完備の出け取る部屋に襖して貰う程しのおかげを、頂いておられりゃそれはおかげですけれどもです、これは例えです、ね、先日からある方が今勤めに出ております、親子2人で後子供さんが幼稚園でしょうか、イヤ勤めておるだけでは味気ないもんですから、

何か商売でも始めたいと言う訳でお届けがしてありました。それでお願いさせて頂きましょう。まあ順調に話が進んだらおかげだとこう言うとりました所が、うーん色々考えた所がまだその子供は、あー手が居るぐらいですからね幼稚園ぐらい、それで商売をすると言うてもほんなら親と子が、あーその別々にしかもほなら小さい子供を何処に預けると言う事も出来ない、留守中はその一人お家で留守番させとるち言うのも可哀想だ、まあ色々考えさせて頂いて、これ商売をさせて頂くと言う事をしばらく断念させて頂こうかと思いますとこう言うからね、うんあんたが商売をしたいと願うから、神様はあのほんならおかげ頂くようにと言うて下さったんだけれども、あんたがその気になるならばね、決してあのほならこれがまあ5年10年遅れてからと言うて、遅くなりゃせんよち言うた。ね、若い内にいっちょ働いちょかな、

何てこう思うけれどもね、きれいの御理解昨日の朝の御理解、ね、それこそ今まだ子供連れてえー細々と、まあ勤めにでも出ておると言うような内にしっかり信心の徳を受けときなさい、力を受け時なさい受け物を受けときなさい、もう子供の手がいらん事なってから、始める時にはね始める時にはそれこそ、今から苦労して始めた時よりか、それこそ神様はおかげを下さると言う事になるとね、うーんそれこそアット言う間におかげを頂けるもんだから、そのおかげの頂けれる受け物をその間子供と二人で苦労しとる時にしっかりしとけ、はようお商売始めなきゃもう人から立ち遅れる、なんて言う思い方はもう更々捨てて信心の方へ一つ打ち込んだらどうかねと言う事を申しました事ですけどね。これなんかは例えば今日の御理解で言うと、一つ九里半ね、まだ登り途中に何かを始めるじゃなくて、登り切って、

例えば信ずる心は静かな、と言うような所まで信心を極めさせて頂いて、始めてからでも遅くはないと言う事モットモット神様を信ずる力を養いなさい。この静かな内から力強い進展が始まると言われるように、ね、その静な心の頂ける程しの信心からです、おかげの勿論進展がこりゃもう限りなく始まるのだと、これが基礎になるものだと、ここの基礎なしに例えばお願いをしてお商売を始めたとするか、なる程儲かるかも知れません繁盛するかも知れませんけれどもです、ね、もう油断も隙も出来ない、ね、静かな心って言うものが出来ていない、ほっといても進展して行くと言う事になって来ない。ね、こりゃもう本当にヤアヤア言うてお願いするからおかげを頂くけれども、お願いをして頂いたおかげと言うものは大した事はないです。油断すりゃもうしまえるです。けれどもあたくし信心の信ずる心をまず頂いて、

心がいつも静であると言う所謂向こうへ降りたら安心じゃと言う所まで、信心をまず身につけさせて頂いてそれからでも遅くはない、イヤそれの方が本当なのだと言う事。まあそれを言葉を変えると、ね、暑い時に寒い時に暑い寒いを感じん程しの、まあ言うなら暑くても寒くても有難いと言う信心修行をしっかりさせて頂いて、その先に冷房完備もよかろう暖房完備もよかろう、ね、汗が流れたらシャワーをかかってすがすがしい気持ちにならせて頂く事も有難い、けれどもそう言うおかげが頂けれる所までが言うなら信心辛抱だと言う訳です。向こうへ降りたら安心だと今日はと言うのをそう言う風に聞いて頂きましたですね。向こうへ降りたら安心だと言う事は、暑くてもやはりそれが有難い。寒くともやっぱ有難いと言う事は、うならいつも暑かっても涼しーい顔しとれるかと言う事じゃない、暑い事は暑い、

けれども有難いのであると言う事。ね、そう言う境地が開けると言う事は、大変至難な事である大変難しい事である、決してそうじゃないです。ね、一歩一歩一遍にゃ出来ませんけど一歩一歩頂上を極めて降りて行くと言うのですから、そげん難しかこちゃないです、例えば末永さんあたりのようにうーん、修行精神の強い人達ならばです、ね、本気でその気になったら本当親先生もう本当暑いけれど、有難いと言う境地がすぐ開けて来ると思うんです。しかもそれがです、ね、神様が只そん時だけ有難くじゃなくて、その有難いと言うものが本当なものになった時がわたくし、ね、安心じゃと言う事になると言う風に思う。ね、まだ自分達にゃこげな事早いと思いながらですよ、ね、少しなら贅沢でもするとしましょうか、まーだ勿体なかばってん付き合い贅沢する、いつまーでん一生ひっかっかってその、

なら扇風機ひとつかけるでん、ほんにこんな事しよるならバチかぶらせんじゃろかち気持ちで一生終はんなんならんです、ね、それよかです本当にもうそれこそあの、これはあたくしの場合ですけども団扇ひとつ自分で握りませんでした。寒い時にはあの火鉢にも絶対手を当てると言う事もしませんでした。ね、ですから本気でその気になったらそれは楽しゅうありがーとう出きるもんだと言う事、だから暑い寒いの事だけではない、ね、今申しましたならお商売ならお商売を始めたいと思う、お繰り合わせを頂いてお願いをして、ね、その方の従兄弟になる方が最近チョットした喫茶店を始めました。勿論お願いをしてお許しを頂いてやってる所が非常に調子がよく儲かりよります。ね、ですから同じ年配ですから従兄弟でもあれだけの事やるんだから、自分もやりたいと言う気持ちがいっぱいある、ね、自信もあるけれどもです言うならです、まー子供がひっかっかると言う時には、子供がひっかっからんで済む所まで自分の心の上にも、ね、所謂おかげの頂けれる心、言うならば神様を信ずる心が、

いつも心ん中に静かな心でおれれる所まで、辛抱しぬかせて頂いてそれから開いても遅くはないと言う、ね、向こうへ降りてから始めなさい、ね、だからこれを難しく言うとそりゃ大変難しい事のようです。ね、暑かとが暑なかごとなれと言うなら、大変難しゅうけれど暑い事は暑いと言うのです。けれどもです、ね、けれども精進させて頂く所の修行の喜び楽しみと言うものはです、ね、暑いけれども有難いと言う心の状態が開けて来る所までおかげを頂けと言うのですからね、問題はその気になるかならないかと言う事です。そりゃもう例えばねえー汗がベタベタ出っとっても体もふかれんと言ったような事をですよね、もうそればしよう事なしでしよるなら、そりゃこげんじゅつない事ないです、ね、暑かっても団扇一つ握らんて言うような事が、あの不精不精それをしておるとしておるならです、ほんに信心ちゃキツイばっかりしか思わんです。問題は填まると言う事です。填まりさえすりゃもういっちょう、

もう本当暑か時こうこうやって、「? 」ほんにと思うくらいです。もう心が弾んでまいりました時には、そんな事なんか全然もう問題じゃなく有難く頂けるまで、ね、だからそこん所に所謂一線を画して、ね、そこまでの信心を頂くと言う事が今日は向こうへ降りた時の信心だと聞いて頂きました。ね、向こうへ降りたら安心じゃと、そこには神様がねもう涼しい思いをさせねばおかん、ね、寒いなら暖かい思いをさせねばおかんと言う働きが必ず頂けます。だからやはり安心でしょう、ね、それでいてですそんなら堕落しはしないか、決して堕落はしないです。静かな心の中から生まれて来る力強い進展はもう、限りなく進展して行くものだと言う事です信心とは、ね、あれにも不自由せん事なった、これにも不自由せんようになった、そしたら贅沢になって来た、と言うのは所謂基礎と言うものを創らんなりに、只少しばかりおかげ頂いてからするから安心がいかんのです。ね、頂くところ頂いておかげを頂けばです、

ね、冷房完備の中に生活させて頂いておっても只有難いばかり、そして信心の進展と言えばもう極まりない程進んで行くものです、問題はそう言う基礎作りと言う事が何でも大事、基礎を作る間はきつかろうけど、本気でがんばんなさい本気になったら、きついと言う事もない問題は本気になるかならないかと言う事だ。先生から言われたけん、せんならんと言うような事であっては、もうそれこそ述つのうてこたえん、この暑か時に汗もふかれんと言うような、もうこげん気持ちの悪い事はなかろと言う事になるけれども、ね、そこを押し進めてまいりますとそこに暑くても有難い寒くても有難いと言う境地が生まれます。それを基礎としてのおかげ、又は極まりなく進展して行く所の信心を楽しませて頂かにゃならん。 どうぞ。